芝生観察日記の第九十一話です。
令和元年12月5日(木)
<~ Road to 2019&2020 ~>
ラグビーワールドカップ2019™ 第二報
9月22日、最初の山場であった2試合を終えて、ホッとする間もなく、決勝戦までのピッチコンディションを左右する追い蒔き(オーバーシード)の準備に入りました。
この日は朝から風速10m/sを超える強い南風が吹き荒れ、スタジアム内では強風の影響により化粧用に陸上トラックを覆っていた人工芝が捲れ上がる事態となりました。
風が止むのを待って、人海戦術で捲れた人工芝を復旧し、台風シーズンでもあることから少し見映えは悪いですが、World Rugby(以下 WR)や組織委員会と協議して再び捲れることの無いように等間隔でウエイトを敷き並べました。と言うのも、写真では写っていませんが、人工芝上にはLED看板など多くの機材が設置されるため万が一試合中に捲れるようなことがあっては大変な事態となります。
さて、話は追い蒔きに戻りますが、まず初めに刈高を試合時の15㍉から13㍉へ下げて、その後サッチングリールを掛けて芝生の密度を下げます。これにより蒔いた種が地面に接しやすくしてあげます。ここまでで下準備は完了です。翌24日に本格的な種蒔き作業を実施しました。
今回の播種では、通常30g/㎡程度しか蒔かない種をラグビーという競技に、残り5試合耐えるという負荷に配慮して60g/㎡蒔きました。種はペレニアルライグラス(以下 ライグラス)を2種類混合しました。発芽や成長が早い種と緑が濃く来春のトランジションが容易な種など例年以上に配慮しました。
播種のタイミング、播種量、播種する種の品種、播種方法など、事前に行っていた芝生の定例会議で喧々諤々と濃い打合せを経て決めました。みんなが良くしたいという思いは一緒なのですが、それぞれに微妙に差異があり、何と言ってもプロ集団ですからまとめるのが大変です。残念ながら妥協せざるを得なかった者もいたはずです。
そして播種から4日目で発芽が確認され、6日目には2cmに達しました。
播種から7日目となる10月1日に自走モアで初めての刈込みを行いました。刈高はライグラスに合わせて23㍉としました。さすがに60g/㎡は多いなというのが実感です。例年は翌春のトランジションを考慮して極力播種量は控えめに管理しています。
次の試合まで10日余り、何とかライグラスが3葉(葉が3枚に増える状態)まで分げつしてくれればという期待を持って一日一日を大切に管理していましたが、この頃10月だというのに連日30℃に達する真夏日が続き、播種前にサッチングリールで密度を梳いたバミューダグラスが勢い良く回復し、密度を増すことでライグラスの生育を抑制する状態でした。これはライグラスが、養分や水分の取り合いでバミューダグラスに負けていることを意味しており、我々の想定通りにライグラスが生育できないまま10月12日及び13日の試合が迫っていました。
10月11日(金)、この日は翌12日と13日に行われる試合のキャプテンズランが予定されていました。しかし、ご存知の通り東日本の広範囲に大雨を降らした台風19号の接近に伴い、残念ながら12日に予定されていたイングランド代表VSフランス代表の試合が中止となったことでキャプテンズランは中止となりました。また、13日に試合を行う日本代表VSスコットランド代表戦の開催可否は当日まで持ち越されましたが、日本代表は秩父宮で練習を行い、スコットランド代表は練習を中止としたことでキャプテンズランは全て無くなりました。
不謹慎かもしれませんが、あの大雨の中でキャプテンズランが中止となったことは、その後のコンディションに影響したことは言うまでもありません。
今回の台風19号による総雨量は、400㍉を超えて各地で河川の氾濫を招き、ここ日産スタジアムが所在する新横浜公園も隣接する鶴見川の増水に伴い、遊水地内に水が流入しました。
鶴見川は昔から暴れ川として有名で、大雨の度に氾濫して流域の住宅地などが浸水する被害を受けて来ました。その被害から護るため国土交通省が遊水地を整備し、そこへ横浜市が公園を造成しました。
そんな遊水地内に設置された日産スタジアムは約1000本の柱の上に高床式に造られており、今回の大雨でも遊水地としての機能を存分に発揮して、公園内はもとよりスタジアムの下にも約85cmの水が流入しました。これにより流域の浸水被害を防ぎました。
このような状況の下、10月13日(日)に予定されていた日本代表VSスコットランド代表の試合は、WR、組織委員会、横浜市、鉄道各社、警察、消防、そして我々スタジアムなど多くの関係機関がギリギリまで開催の可否を検討した結果、開催という判断が下されました。
この判断を受けて、我々も台風の接近に備えて撤去していたラグビーポールを設置し、台風で巻き上げられた海水が雨となって降り注ぐことで起きる塩害を回避するための散水など、試合に向けた準備を急ピッチで行いました。同時に主催者側の会場設営部隊もそれぞれの部署で急ピッチに作業が進められました。
そして、我々にはワールドカップの舞台を整えるという大事な使命とともに、普段F・マリノスの練習やサッカーの市民大会等で利用されている日産フィールド小机の芝生を護らなければなりません。泥水が引くのを待って速やかに堆積した泥を洗い流して利用できるようにします。泥水で浸かった芝生を再生させるには時間との勝負になります。スタジアムを優先して後回しにする訳にはいかないので同時進行です。
さて、19時45分キックオフの試合に向けて、毎試合キックオフの4時間半前にはWRのマッチマネージャーと共にピッチが規定通りに整備されているのかを確認する「ピッチ検査」があります。
この日も検査は合格。前日までに降った雨による影響も感じさせない状態に「アメージング!」との賛辞をいただきました。確かに良く間に合ったなというのが実感でした。そして、今思えばこの日の状態がコンディション的には色々な意味でMAXだったかもしれません。
芝生の刈高は18㍉でした。本来であれば20㍉位まで上げたかったところです。
試合は、ベスト8進出を掛けた日本代表を応援しようと67,666人の来場者で埋め尽くされ、我々も経験したことが無い雰囲気の中で行われました。
試合の結果は、ご存知の通り日本代表が歴史的な勝利を収めてベスト8進出を果たしました。場内はしばらく歓喜に包まれていましたが、選手がピッチを去るのと入れ替わりでワーキングチームによるピッチの確認が行われました。ワーキングメンバーは組織委員会、芝生のコンサルティング、横浜市、我々キーパーチームにハイブリッド芝の生産業者さんです。
試合後の芝生は、追い蒔き前にバミューダグラスの密度を梳いた影響で9月の2試合よりも表面の芝生が削り取られるような傷が目立ちました。理想はライグラスが3葉に達して、バミューダグラスの密度低下を補ってくれる想定でしたが、前述の通りバミューダグラスの復活によりライグラスの生育が鈍化し、結果として芝表面の強度が上がらなかったものと考えます。
それでも、ライグラスがあることで芝刈りの模様は9月より綺麗で、テレビ映えはしていた気がします。
ワーキングメンバーによるピッチ確認では、次の準決勝2試合及び決勝戦に向けてどうするかという視点で議論しました。
内容的には、ハイブリッド芝が機能し、良好な状態が維持されている。ライグラスが細く、本来の目的に応じた機能をしていないので肥料を与え、刈高を上げてライグラスの生育を促すなどの方向性を確認しました。
ようやく前半戦が終了しました。この段階で既に心身ともに疲労困憊でしたが、続く準決勝、決勝戦に向けて気が休まぬ日々が続きました。
続きは第三報で。